SHIRATORI PLAN  白鳥計画

 

バークレーにて模型作成・写真撮影:1991年日本建築学会記念講演:C・アレグザンダーによる発表

 

 1990年に、私の恩師、環境構造センター主宰のクリストファー・アレグザンダー(現、カリフォルニア州立大学バークレー校環境デザイン学部建築学科名誉教授、当時教授)は、

名古屋市長から、白鳥という町に、地元を配慮した市の地域計画を無視した、当時の住宅・都市整備公団による高層住宅群の計画に対する、代替計画提案を求められました。それで、教授の指導の下でバークレーの大学院クラスメイトと白鳥計画を始め、次の学期では、専任で集中し、レポートとしてまとめたものです。白鳥の高層集合住宅群計画は、国機関の計画ということで、再考を促すまでには到りませんでした。

 

 その後、名古屋市のプロジェクト、市営住宅(千種台団地)の建替えで、住民達や関係者と協議を重ねた上での、計画主旨のデモンストレーション、実現を仲間達と共に願いました。しかしながら、19911992年当時では、未だ、地域全体の中の団地、周辺住民・市民を含めてのコミュニティづくり、「まちづくり」という基盤が弱く、みんなで地域社会を築いて守っていくという社会姿勢ではなく、立場の異なるそれぞれが対立してバラバラのまま平行線をたどり、エネルギーと時間が費やされていくという状態でした。それぞれの意見や願い、実現性のための問題点を、一緒に段階的に解決していくにも、当時の議会、国と一地方自治体の関係から、はるか遠い道程という感でありました。決定的であったのは、戦後のインフラ整備後の、昭和30年代に建てられた公共住宅の建替に的を絞った大手ゼネコン継続策から発した、公営住宅建替の実現を左右する補助金制度の条件に「中高層住宅とすること」とあったので、低層は実現出来ませんでした。けれども、ほとんど中層住宅となり、多少の影響を及ぼすことには到ったようでありました。

 

 しかし、その時期から、まちづくりが盛んになり始め、1992年に告示、2000年に公布された都市計画法182項「市町村の都市計画に関する基本的な方針」から全国的に都市計画マスタープランづくりが展開され、1991年玉川まちづくりハウス設立、1993年都市計画学会賞・まちづくり学会賞受賞の「美の条例―真鶴町まちづくり条例」と、ここ15年間程で、専門家、行政、住民と民間業者も含めた市民が主体となる地域づくり、協議会などの場づくりが日常的になってきました。昨年、2004年には、三位一体の地方分権の動きも、元財務大臣が「知事達の論理、言い分がもっとも(正当)」と言及するにいたり、ようやくトンネルの先の光明が見えてきました。

 

 白鳥計画は、アフォーダブルな高密低層住宅計画であるのみでなく、ユーザー参加による大規模公共住宅づくりの計画です。ユーザーの願いや要望を取り入れて、定住できると同時に、住み替えの可能性も残していくというもので、当時の社会福祉の視点と、現実的に良い生活・居住環境、地域環境を社会資本として整備していくという点とのギャップも、課題として提示するものでした。現在では、(以前より公共住宅計画大御所の藤本昌也氏提唱の)スケルトンとインフィルという考え方の定着、リフォームの技術向上、ソフト的社会福祉面の解決と、より良く整ってきました。199012月レポート提出後、アレグザンダー教授から、自分が継続する課題として、ユーザー参加の手法を培いながら、実現していくことを諦めないということでありました。その当時は、インタビューとカルテを基に、現場、模型と図面でスタディを進めていくという流れでした。180世帯のユーザー参加を、グループ分けしていくにしても、定められた事業期間という短期間で進めていくことに漠然と大変さを感じていました。また、合意形成の積み重ねという社会全体の経験が求められていると感じて、現実とのギャップに途方にくれることもありました。

 

一方で、ここ15年間程で、パソコン、インターネットの普及は目覚しく、インターネット電話やWebComといったインターネットテレビ電話がより身近になっていくのも目前と感じられる今日です。衛星技術利用のモニター画面上の地域全体模型、更にそこで視点を変えての町の体験、シュミレーション技術もかなり進んできました。一般的にも、電話でのコミュニケーション、短時間でインタビューされることやヒアリングされることにも慣れてきています。PC、インターネット、テレビ電話、視点が変えられる全体模型、現場での原寸模型と、コミュニケーションの道具やスキルが用意されてきています。

 

ユーザー参加で進めるということは、大規模な全体を一気に進めることではなく、部分の積み重ねとして、プロセスそのものが生きているものとして、部分をつくり続ける、あるいは日常的に修正し続けるということであります。日経アーキテクチュア2005110日号72ページの写真家、安川千秋氏曰く「光り輝く巨大ビルとその足元にビッシリと群れるブルーシートハウス−という嫌な光景」への懸念、そうしたまともな嫌悪感を抱き続けることが健全な社会を築いていく上で大切で、合意形成の鍵になるのです。その光り輝く巨大ビルの象徴ともいえる、ワールド・トレードセンターの9.11惨事も此処15年内のことでしたが。また、練馬区都市計画マスタープランとまちづくり条例の公募委員の一人、朝比奈さん曰く「社会の別のあり方」を求め続けることが肝要と思います。事実上、自動車中心の道路網、都市計画、建築という箱、事業主・事業者の貯金箱としか考えないマンションづくり、収益のみを考えた大規模販売店と、子供やお年寄り、歩行者が楽に普通に暮らせない、ストレスだらけの地域環境、まちになってしまっている現状です。小学生は、蟻の行列のように決められた通学路を進み、防犯ベルや携帯電話を持たされて、利用したとしても直ぐに助けに来てくれる人はいない、駆け込むマンションの自動扉はセキュリティシステムで開かない、戸建に入っても玄関扉は閉まりその隣はガレージ、やっと見付けた店舗も後継者無しの為閉店ばかりと、悪夢のような現実ではないでしょうか。

カリフォルニアでは脳腫瘍罹患率が携帯利用者が倍であったため、携帯電話はイアホン無しでは利用させない法律があり、イギリスでは15歳以下の子供の携帯電話利用を児童保護のため法で禁じています。公衆電話が無くなり続け、安全に歩ける、人々の、良き市民の目が行き届いている地域環境、当たり前の町がどんどん消えていくのには、焦燥感すら覚えます。

 

マティスが20世紀前半で、トルコ・カーペットのスタディから得られた平等の色の関係、その成果である美、人々を幸せにする美と、C・アレグザンダーが都市はツリーではなく、セミラチス構造であるということは、同じ求めるところです。白鳥計画の、どこかでの実現、此処かしこでの実現も、それと同じことなのです。

本文へ続く。

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